日本が世界に誇る絵画のひとつ「浮世絵」。
江戸時代に成立し、近世日本のアートと情報のあり方をがらりと変えました。浮世絵と書物が広まったことによって、社会階層を問わず情報にアクセスしやすくなったのです。
文化の多くは江戸の町に集まり、浮世絵のモデルと鑑賞者はどちらも大衆そのものになっていきました。
その大きな要因は、浮世絵が当時では異例の「大量生産」が可能だったことに由来します。
浮世絵には大きく分けて「肉筆画」と「木版画」が存在します。
肉筆画は、その名の通り直筆で仕上げたもの。現代でも人気のあるイラストレーターや漫画家の直筆イラストはとてもレアですが、当時も同じく貴重で大変高価でした。
一方、木版画は、絵を彫り込んだ版木(はんぎ)に絵具を乗せて紙に転写する版画で、要は印刷物です。印刷に使う版木が摩耗して使用不可になるまでは何枚でも摺ることができたので、同じ絵を大量に作ることが可能で、肉筆画よりもリーズナブルでした。
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浮世絵版画を作り出す職人たち
浮世絵版画は複数の職人が作業を分担して制作していました。
浮世絵の下絵を描く「絵師(えし)」
下絵をもとに版木を彫る「彫師(ほりし)」
版木を使って絵を摺る「摺師(すりし)」
という別々の仕事をする職人たちが、共同でひとつの作品を作り上げていたのです。
浮世絵師として有名な葛飾北斎や歌川国芳は「絵師」で、現代のイラストレーターにあたります。
江戸に存在した名プロデューサー「版元」
大量生産が可能になった浮世絵版画は、娯楽品であり商業出版物でした。
まず巷のトレンドやニーズを取り入れた企画があり、それによってどんなものを描くかが決まりました。その企画の責任者が「版元(はんもと)」です。
版元は、浮世絵の企画、制作、印刷、販売までを一貫して行うプロデューサーのような存在でした。彼らは江戸の町で書店も商っており、浮世絵の版木の所有権も持っていました。浮世絵の売れ行きをチェックして、重版するかどうか決定するのも版元だったのです。
喜多川歌麿(きたがわうたまろ)の「江戸名物錦絵耕作」に、浮世絵を制作する様子が描かれています。
画面右端に注目してみましょう。小筆を持って頬杖を突いた絵師が、版元に下絵をチェックしてもらっています。下絵にOKが出れば次の工程に進むことができますが、どんな塩梅でしょう…
下絵に厳しい目を向ける版元の着物は、この場でひとりだけ高級そうな仕立てになっており、羽振りの良さがうかがえます。
浮世絵はどうやって作られる?
浮世絵制作には細かなステップがいくつもありますが、おおまかにみると、
- 版元が企画を立てる
- 絵師が下絵を描く
- 彫師が版木を彫る
- 摺師が絵を摺る
このようになります。
初代・歌川国貞(うたがわくにさだ)も、歌麿と同じように「今様見立士農工商 職人」を描きました。
大きなハケを使って和紙ににじみ防止のドーサを引く者、小刀を研ぐ者、版木を彫る者などが描かれています。画面の左端には、絵具の並んだ棚や摺台も見えます。
画面右上とその左側にいる職人はどちらも彫師ですが、取り掛かっている仕事が違うようです。
右上の職人は版下絵(はんしたえ)を版木に貼りつけて、小刀で絵の輪郭を彫る作業をしています。その左隣の職人は、大きなノミで版木の広い範囲をさらっています。
単に彫師といっても一筋縄ではなく、繊細さ、大胆さ、そして根気が求められる仕事だということが分かります。
当時、実際の職人はすべて男性で、このようにひとつの作業場で同時に仕事をすることもありませんでした。歌麿も国貞も、職人たちを女性に見立てた群像画として描くことで、浮世絵制作の工程を華やかかつダイナミックに表現しています。
江戸庶民はどこで浮世絵を手に入れてたの?
こちらは江戸後期に描かれた、落合芳幾(おちあいよしいく)の「江戸土産之内 絵さうし見世」という作品。
書店の店先に役者絵がズラリと並んでおり、二人組の女性客がそれを見上げています。
「待って、推しの新作絵出てる…!」
「マジ?なくなる前に買ったほうがいいよ」
という会話が聞こえてきそう。
そんな客たちに、店番の女性が「冷やかしはお断りだよ」とでも言いたげな鋭い視線を向けています。その後ろにいる丁稚の少年は品出し中でしょうか。
当時の江戸にはこのような地本問屋(じほんどんや)、あるいは絵草紙屋(えぞうしや)と呼ばれる店がいくつもあり、浮世絵版画やさまざまな書物を販売していました。
店内には「いろは文庫」「四谷雑談」など、広告も貼り出されています。
アイドルや人気俳優が表紙になった雑誌が店の目立つ棚にドーンと面陳されているのは、現代の書店でもよくある光景です。そしてその表紙に吸い寄せられてついつい雑誌を買ってしまうという風景も、江戸時代から変わっていないのかもしれません。
読書家だった江戸っ子たち
江戸っ子たちは浮世絵を眺めることも好きでしたし、本を読むのも大好きでした。
美人画を得意とする喜多川歌麿の「木挽町新やしき 小伊勢屋おちゑ」は、水茶屋の看板娘おちゑが黄表紙(きびょうし)を読んでいる様子。
黄表紙とは、当時大流行した漫画のようなもので、社会風刺やダジャレなどがちりばめられた大人向けの書物でした。
当時の日本人の識字率の高さは有名ですが、江戸の庶民はヒマさえあれば本を読んでいたといわれています。書物に込められた風刺やダジャレを理解して楽しんでいたということですから、改めて江戸庶民の文化・教育水準は高かったといえるでしょう。
とはいえ、浮世絵版画だけなら安価でしたが書物はそれなりに高価だったので、おいそれと買うことはできませんでした。その代わり、貸本屋でレンタルして読むという習慣があったようです。
貸本屋は様々な書物を担いで庶民の家々を訪ね歩き、安価で貸し出していました。さしずめ、歩くTSUTAYAといったところでしょうか。
終わりに
浮世絵の魅力は無数にありますがその中でもユニークなのは、浮世絵を楽しむ江戸庶民の姿が描かれていることではないでしょうか?
浮世絵職人たちは歌麿や国貞の絵を見て「そうそう、版元のチェック待ちしてる時はハラハラするんだよ」と言っていたかもしれませんし、江戸の推し活女子たちは芳幾の絵を見て「わたしらのことじゃん」と笑っていたかもしれません。
そんなことを考えながら鑑賞すると、浮世絵がますます豊かで魅力的なものに思えてきます。
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担当
小川芳朋
編集部
西洋陶磁器が専門。 美しい物と怖い物について書いています。 アンティーク食器のほか、蚤の市、廃墟、妖怪に詳しい。