絵画のような精緻で重厚な文様、しっとりとなめらかな手触り、一度は自宅に取り入れてみたい憧れのインテリア「ペルシャ絨毯」。その美術的価値から「床の上の芸術」とも呼ばれています。
今回は、意外と知らないペルシャ絨毯の基本やお手入れ方法、そしてその長い歴史をご紹介していきます。
目次
ペルシャ絨毯の基本
「ペルシャ」とは、現在のイランのこと。ペルシャ絨毯とは、イラン国内で生産された手織り絨毯のみを指す名称です。機械で織られたものや、イラン以外の場所で作られたものは、ペルシャ絨毯とは呼びません。
織機に張った経糸(たていと)に、染色した緯糸(よこいと)を編み込み、ペルシャ結びやトルコ結びという方法で結んで、少しずつ柄を作っていきます。何千、何万という編み目をすべて手作業で編み込み結んでいくため、一枚の絨毯を作り上げるのに、複数の織り子が協力しても数か月、数年かかることもあります。
その途方もない作業の末にできあがるペルシャ絨毯は、緻密できらびやかな幾何学文様が特徴の美術工芸品であり、耐久力のある実用的な日用品でもあります。
ペルシャ絨毯の主な素材はウール(羊毛)、シルク(絹)、コットン(綿)です。化学染料を使っている場合もありますが、ほとんどが天然素材の草木染で染色されており、使い込むほどに優しい風合いを醸し出します。
ペルシャ絨毯は「踏まれることで美しさを増す」唯一無二の芸術とも呼ばれており、踏まれることで糸の結び目が固く締まっていきます。これによって表面の毛足は柔らかさを保ち、内部の圧着は増して、結び目がゆるんだり解れたりすることなく、50年100年と使い続けることができるのです。
覚えておきたい ペルシャ絨毯の5大産地
制作された地域の名前がついた絨毯もあり、イスファハン、タブリーズ、クム、ナイン、カシャーンは、日本でもよく知られたペルシャ絨毯の5大産地となっています。
イスファハン
ペルシャ絨毯の産地として長い歴史を持つイスファハン。イラン第2位の人口を誇る古都であり、「イスファハンは世界の半分」と謳われるほど美しく繁栄した都市でもあります。イスファハンのペルシャ絨毯は、洗練された意匠と色使いが特徴で、歴史と伝統に裏打ちされた格調高さで世界的に知られています。
タブリーズ
イスファハン同様、ペルシャ絨毯の産地として古い歴史を持つタブリーズ。華やかな文様でありながら全体的に落ち着いた色調のものが多く、トルコ結びで正確かつ頑丈に作り上げられているのが特徴です。
クム
絹の産地でもあるクム。絨毯の産地としては新興で、1930年代からです。そんなクムのペルシャ絨毯は「クムシルク」とも呼ばれる上質なシルク製のものとなっています。新興産地ゆえ伝統に縛られることなく、斬新なデザインや他の産地の技術を積極的に取り入れており、独自のクムスタイルが日本でも人気があります。
ナイン
ウールをベースとした絨毯を多く生産しているナイン。ペルシャ絨毯の生産に本格参入したのは1920年と比較的最近です。ベージュを基調とした落ち着いた色使いのものが多く、日本の住宅にも馴染みやすいため、人気が高いです。また比較的リーズナブルなペルシャ絨毯が多いのも特徴です。
カシャーン
ペルシャ絨毯だけではなく、青釉陶器やビロードを伝統的に生産してきたカシャーン。ダマスクローズの産地としても有名です。カシャーンのペルシャ絨毯はウールのものが多く、伝統的な図柄のものが多いのが特徴です。
「ギャッベ」と「キリム」
ペルシャ絨毯について検索していると「ギャッベ」「キリム」という言葉をよく目にします。これらはペルシャ絨毯とは違うのでしょうか?
ギャッベ
ギャッベはペルシャ絨毯のひとつです。ペルシャ語で「粗い・素朴な」などの意味がある言葉で、その名の通りフカフカした毛足のあるぶ厚い織物です。都市部の工房で精密な製図をもとに細かな糸で織り上げられる絨毯に対して、ギャッベには製図等はなく、太めのウールでざっくりと織られています。
イラン南西部・シーラーズ近郊で遊牧生活を営むカシュガイ族が作るもので、ロバやラバに載せて運搬しやすいコンパクトなサイズに、色とりどりで素朴な柄のものが多いのが特徴です。ギャッベの厚みは石がちな地面の硬さと冷たさから人々を守り、明るい色彩は荒涼とした砂漠での暮らしに華を添えてきました。
デフォルメされた鳥獣の図柄は素朴なうえに愛らしくコミカルで、日本国内でも敷物として親しまれています。
キリム
キリムも織物の名称です。
イラン、トルコ、コーカサス地方など、中近東の遊牧民が伝統的に作ってきた平織り(つづれ織り)の織物です。こちらも、イラン国内で手織りされる限りはペルシャ絨毯となります。
ギャッベとは対照的に毛足がない薄手の織物です。敷物としてだけでなく間仕切りに垂らされたり、装飾として壁に飾られたりします。薄くて軽いので折りたたんで運んだり収納したりすることが容易です。縫い合わせて穀物や家財を運ぶための袋にしたり、家畜の鞍にしたり、遊牧民の生活になくてはならない織物です。
キリムとギャッベは、ペルシャ絨毯の中でも比較的手頃な価格のものが多く、日本を含めたさまざまな国と地域で、敷物や室内装飾として広く愛されています。
ペルシャ絨毯3000年の歴史
古代に残るペルシャ絨毯の痕跡
ペルシャ絨毯の歴史は非常に長く、3000年とも4000年ともいわれています。
その始まりは分かっていませんが、寒暖差が激しく乾燥した気候のイランに暮らす人々が、少しでも快適に過ごすために作り出したアイテムであるということは、想像に難くありません。
最初期の絨毯は今のような織物ではなく、獣毛を固めて作られたものだったと思われます。
およそ2500年前のものと思われる絨毯が、南シベリアのアルタイ山脈パジリク渓谷にあるスキタイ王の墳墓から出土しています。これは「パジリク絨毯」と呼ばれていて、発見当初はその文様や様式からペルシャ絨毯であると考えられていました。しかし染料などを詳しく解析した結果、現在では中央アジアで作られたものであるという説が有力です。
手織り絨毯は非常に頑丈ですが、有機素材で作られた日用品ですので、数百年の年月には耐え切れず、傷んで朽ちてしまいます。そのため、古い文学や絵画にペルシャ絨毯の表象は伺えるものの、16世紀サファヴィー朝以前の作品は残っていません。
現存するもっとも古いペルシャ絨毯は、ミラノのポルティ・ペッツォーリ美術館が所蔵する「狩猟文様絨毯」(1522~1523年頃)であるとも、ロンドンとロサンゼルスの美術館にそれぞれ一枚ずつ所蔵されている「アルデビル絨毯」(1539~1540年頃)であるともいわれています。
宮廷の保護とその興亡
16世紀、サファヴィー王朝保護のもと各地にペルシャ絨毯工房が拡大していき、次々と素晴らしい名品が生まれました。
緻密で美しいペルシャ絨毯は世界中に広がって人々を魅了していきます。英国王の戴冠式で玉座の前に敷き詰められ、世界中の富裕層に買い求められました。
1722年、サファヴィー朝が滅亡したことにより、庇護者を失ったペルシャ絨毯工房は次々に閉鎖されていき、都市部の絨毯産業は息の根を止められてしまいます。
しかし、農村部や遊牧民たちの絨毯制作は途切れることなく続いていったのです。
近代化とともに甦ったペルシャ絨毯
19世紀なかば、ヨーロッパで発生したカイコガの伝染病が、トルコを渡って伝播し、イラン国内の主要輸出品である生糸産業に大打撃を与えました。
この時、生糸に代わって新たな基幹産業として選ばれたのが、ペルシャ絨毯です。
1873年のウィーン万国博覧会に出展されたペルシャ絨毯は、ヨーロッパ社会から注目を浴びました。産業革命によって一般大衆の生活水準が向上し、住まいを快適かつ華やかに整えたいという要求が高まっていた、まさにそのタイミングだったのです。
そんな中、イギリスやオランダの貿易商会がペルシャ絨毯に新たな商機を見出し、イランに進出します。商会はペルシャ絨毯を買い付けて輸出しただけでなく、イラン国内に絨毯工場を設立し、現地の職人や織り子を雇って生産から輸出まで管理下に置きました。
ヨーロッパの需要に応える形で、イラン国内の絨毯産業は息を吹き返していきます。
さらにタブリーズの地元商人たちも絨毯産業に参入するようになります。彼らは外国からやってきた商会が持たない民族コミュニティを基盤にして独自のネットワークを築き、絨毯貿易を展開していきました。
ペルシャ絨毯産業は、戦争や内乱で仕事を失った国民の受け皿として、都市部で再び拡大していきました。大量生産に転換したことで一時は品質が劣化することもありましたが、欧米の顧客の要望を反映した新しい図柄も多く生まれました。
その後もイランはクーデター、戦争、世界恐慌などの困難に見舞われますが、ペルシャ絨毯産業は絶えることなく継続してきました。
ペルシャ絨毯はイランの人々の生活の糧であり、伝統工芸品であり、アイデンティティでもあるのです。
日本とペルシャ絨毯
日本にペルシャ絨毯が伝わったのは、16世紀から18世紀頃、安土桃山時代といわれています。海を渡ってやってきたペルシャ絨毯は、大名や将軍への献上品となり、敷物というよりは装飾品として楽しまれました。
京都の高台寺には、豊臣秀吉がイスファハン製と思われるキリムを裁断して作らせた陣羽織が伝わっています。獣が駆けたり食い合ったりする様子が、幾何学的に配されたひし形とともに色鮮やかに織り込まれています。
また、京都の夏の風物詩・祇園祭の山鉾を飾る懸装品(けそうひん)にも、17世紀中期に制作されたとされるペルシャ絨毯が使われています。
そんな日本でペルシャ絨毯が定着したのは、実はごくごく最近のことです。80年代のバブル景気に沸き返る中で、調度品としてだけでなく、一種の財テク商品として注目されました。
物の値段が高ければ高いほど売れた時代、百貨店が競って販売に乗り出したことで、高価なペルシャ絨毯はある種のブームとなったのです。
実家の応接間にペルシャ絨毯が敷いてあった、両親や祖父母がペルシャ絨毯を大切にしていた、というような記憶がある方も多いのではないでしょうか?
現在では往時の勢いはないものの、歴史があって品質の良いものを好む日本人の気質は変わらず、ペルシャ絨毯を専門に取り扱うお店や買取店が国内に広く根づいています。
ペルシャ絨毯はなぜ高い?
ペルシャ絨毯の値段のほとんどは「人件費」です。
すべてが手作業であるため、ペルシャ絨毯が完成するまでには月単位・年単位の時間がかかります。当然、絨毯作りに携わる職人たちにお給料を支払う必要があるため、サイズの大きな絨毯は価格が上がっていくのです。
もちろん、絨毯そのもののクオリティも関係します。著名なデザイナーがデザインしたものや、ベテラン織り子が織り上げたものは、必然的に高価になります。
ペルシャ絨毯はピンと張った経糸に緯糸を1目ずつ織り込んで結び、作り上げていきます。この結び目のことを「ノット」と呼びます。ノット数が多く、正確に並んでいることが高級ペルシャ絨毯の指針であるとされています。1平方メートル内に100万ノットあれば上質で高級なペルシャ絨毯といえます。
1平方メートル内に100万ノット…と言われても、いまひとつピンとこないかもしれません。ざっくり換算すると、1センチ四方の小さな四角形の中に、結び目が100個みっちりと並んでいるということになります。そしてそれは、人間の手でひとつずつコツコツと織り込まれて結ばれたものなのです。ちなみに、ひとりの織り子が一日に結ぶことができるノットは、平均で5,000ほどといわれています。
近年では、イラン国内でも経済成長やIT革新によって職業選択の幅が広がり、絨毯職人は減少傾向にあるようです。作り手が少なくなることで、ペルシャ絨毯の希少性が上がり、価格に影響も出ています。
これらのことを念頭において今一度ペルシャ絨毯を見てみると、ただ価格に驚くだけではなく、新たな発見と感動があるのではないでしょうか。
自宅洗いはNG?ペルシャ絨毯のお手入れ方法
ペルシャ絨毯は頑丈に作られているため、お手入れ次第では何十年でも使い続けられます。日頃のお掃除を欠かさなければ、ダニや虫の発生を抑えることも可能です。
適切なお手入れが、ペルシャ絨毯を美しく保ち続けるコツです。
自宅での水洗いはNG
汚れたら洗いたくなるのが人情というもの。ですが、ペルシャ絨毯の水洗いは推奨できません。ウールやシルクが素材ですので、素人が水洗いをすることで、色落ち、型崩れ、縮み等のリスクがあります。
食べ物や飲み物をこぼしてしまった場合には、乾いたタオルで素早く拭き取りましょう。シミが残りそうな場合には固く絞ったタオルで優しく叩いて取り除いてください。
それでも気になる場合には、無理をせずクリーニング店に相談しましょう。
日頃のお手入れ
日常的なお掃除は、掃除機をかければ十分です。弱めの吸引力でゆっくり往復させて、表面にとどまっているゴミを吸い取りましょう。
粘着力の強いコロコロクリーナーは、絨毯の毛足を引っ張って痛めてしまう恐れがあるので、避けたほうが無難です。
ウールもシルクも湿気に弱いので、梅雨時や夏場には除湿と換気を心がけると、虫害を防ぎ、絨毯を長持ちさせることができます。
定期的なお手入れ
ウールのペルシャ絨毯であれば、ウール用洗剤を薄めた水に濡らして固く絞ったタオルなどで、毛並みに沿って優しく拭き、さらに水で濡らして固く絞ったタオルで洗剤を拭き取ります(色落ちしないかどうか、必ず事前に確認して行ってください)。
シルクのペルシャ絨毯は水洗いや水拭きは推奨されません。汚れが気になる場合には、購入したお店やクリーニング店に相談してみましょう。
定期的に屋外で陰干しすることもおすすめです。表面が褪色しないよう裏返して干しましょう。絨毯全体を適度に乾燥させ、ダニなどの発生を防ぐことが期待できます。
終わりに
細かな手作業によってひとつずつ織り上げられていく「床の上の芸術」ペルシャ絨毯。
イランの歴史を反映したかのようなきらびやかで重厚な存在感は、安価な機械織りカーペットにはない唯一無二の魅力があります。
ペルシャ絨毯は古いものほど価値が高いとされ、オールド(50年以上)や、アンティーク(100年以上)と呼ばれるものは、コレクターからの注目度も高いです。
状態、サイズ、ノット数、素材などによっては査定額が高くなることも少なくありません。ペルシャ絨毯の買取をご検討されている方は、ぜひ一度ご相談ください。
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担当
小川芳朋
編集部
西洋陶磁器が専門。 美しい物と怖い物について書いています。 アンティーク食器のほか、蚤の市、廃墟、妖怪に詳しい。