マリー・ローランサン(Marie Laurencin, 1883年-1956年)は、20世紀前半に活動したフランスの女性画家・彫刻家です。
1883年(または1885年)にパリで私生児として生まれました。画家を志したローランサンは、アカデミー・アンベールで絵を学び、そこでジョルジュ・ブラックと知り合います。ブラックを介して、モンマルトルにあったバトー・ラヴォワール(洗濯船)という安アトリエで、パブロ・ピカソや詩人で美術評論家のギヨーム・アポリネールと知り合い、キュビズムの影響を受けます。
キュビズムや立体派などから学び、独特の繊細さを孕んだ色彩や優雅なフォルムを生み出したローランサンは、前衛画家として当時最先端の芸術運動の一人に数えられるようになります。1912年最初の個展が評判となり、徐々にキュビスムから脱していきます。第一次大戦前、多くの才能が活躍したエコール・ド・パリの中で、ローランサンは経済的にも自立した最初の新進女性画家として知られるようになりました。
1914年に31歳でドイツ人男爵と結婚。これによりドイツ国籍となったため、同年に第一次世界大戦が始まると、マドリッドやバルセロナへと亡命生活を余儀なくされます。
戦後離婚し、単身戻ったパリは「Les Années Folles(レザネフォール)=狂乱の時代」の真っ只中にあり、自由と活気に満ちていました。そこではピカソやコクトー、ココシャネルといった数多くの文化人が活躍しており、ローランサンも独自の画風を開拓し売れっ子画家となりました。淡く華やかなパステルカラーで描く女性像は、官能的な優雅さを備え、上流婦人からの肖像画の依頼を受けるようになります。評価が高まるとともに、モチーフの少女たちはより色彩豊かに表現されるようになり、夢のような作品たちが多く生み出されていきました。
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