野田英夫のだ ひでお

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    野田 英夫(のだ ひでお、1908-1939年)は昭和時代に活躍した日本の洋画家である。


    1908年7月15日にアメリカ合衆国のカルフォルニア州サンタ・クララ郡アグニュー村で熊本県出身の日本人移民・野田英太郎とセキの二男として生まれる。英語名はベンジャミン・ノダ。版画家野田哲也は甥にあたる。
    3歳のときに教育の為、父の郷里熊本の叔父・羽島徳次に預けられる。熊本師範付属小学校、旧制熊本県立熊本中学校を1926年に卒業。卒業後は帰米。


    アラメダ郡のビードモント高校に入学し、洋画を学ぶ。1929年に卒業。アメリカ人家庭のスクールボーイとして働きながら絵を学び、カリフォルニア・ファイン・アーツを中退。


    1931年にニューヨークに出てウッドストック芸術村で開かれていたアート・ステューデンツ・リーグの夏季講座に参加。同校教授アーノルド・ブランチや国吉康雄の支援を受け、壁画・テンペラ画を研究した。その後結婚。貧しいながらもウォーカー・エバンスら若いアーチストらと交流しながら暮らした。


    共産党系の革命的作家集団「ジョン・リード・クラブ」に参加。1931年のスコッツボロ事件を題材にした作品「スコッツボロの少年たち」で注目され、1933年のサンフランシスコ美術家協会展で受賞や、ニューヨークのロックフェラー・センターでのリベラの壁画制作の助手となった。


    また、1934年にはホイットニー美術館の全米美術展に出品。その後帰国。帰国後の1935年二科展に出品。これが日本での初めての発表となる。1937年には日本の長期滞在を決して新制作協会に参加し活躍した。しかし、脳腫瘍の為1939年1月12日に32歳の若さで死去。


    都会生活の哀歓を好んで描いている。



    年表
    1908年 アメリカ合衆国カリフォルニア州生まれる
    1926年 県立熊本中学校卒業
        帰米 ビードモント高校に入学 
    1929年 ビードモント高校を卒業
    1930年 リベラにフレスコ画の指導を受ける
    1932年 ウッドスタック美術協会賞受賞
    1933年 ニューヨークでディエゴ・リベラの壁画制作の助手になる
    1934年 日本へ帰国 
    1935年 二科展に出品
    1937年 新制作協会会員となる
    1938年 銀座日動画廊で個展
    1939年 死去

    野田英夫の代表的な作品

    • 風景 1932年(昭和7年) 水彩・紙 風景 1936年(昭和11年) 油彩・ボード 人物 制作年不詳 インク・紙 人物(市場の人々) 制作年不詳 水彩・紙 学園生活(ピードモント・ハイスクール壁画)1937年

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