赤地友哉の買取
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赤地 友哉(あかじ ゆうさい、1906(明治39)年1月24日-1984(昭和59)年6月30日)は、大正から昭和時代に活躍した日本の漆芸家である。石川県金沢市に桧物師赤地多三郎の三男として生まれる。本名は外次。
1922年、金沢市の塗師である新保幸次郎に師事。上京後は塗師の渡辺喜三郎に師事。また、小堀宗明に茶道を学ぶ。1930年には独立。京橋や日本橋で茶器等の制作を行う。その傍ら、蒔絵師の植松包美のもとで徳川本源氏物語絵巻を収める箪司の髹漆に従事。東京漆芸会にも入会し、同展への出品をおこなっていた。
戦後の1946年からは大平通商株式会社に勤務。三井漆の研究を行う。その後1953年に再び制作に専念。日本伝統工芸展を中心に活躍し、同展で奨励賞や日本工芸会総裁賞を受賞。1966年の第13回日本伝統工芸展に出品した「曲輪造平棗」では翌年に芸術選奨文部大臣賞を受賞する。
その後も活躍をみせ、1974年に重要無形文化財「髹漆」の保持者に認定された。また、日本文化財漆活会副会長もつとめた。
作風は木工の曲物技法を応用。堅牢な曲輪に多彩なフォルムを作り出す。それと共に、素地に塗立による上塗りを施す独自の手法を編み出した。
多数の賞を受賞し、名をはせた赤地は1984年に心筋梗塞のため、横浜市の自宅で死去した。
年表
1906(明治39)年 石川県で生まれる
1922(大正11)年 塗師・新保幸次朗に師事
1927(昭和2)年 独立
1959(昭和34)年 第6回日本伝統工芸展に「朱輪花盆」を出品 奨励賞受賞
1960(昭和35)年 第7回日本伝統工芸展に「曲輪造彩漆盛器」を出品 奨励賞受賞
1961(昭和36)年 第8回日本伝統工芸展に「曲輪造彩漆鉢」を出品 日本工芸会総裁賞受賞
1967(昭和42)年 芸術選奨文部大臣賞 受賞
1972(昭和47)年 紫綬褒章受章
1974(昭和49)年 重要無形文化財「髹漆」保持者に認定
1978(昭和53)年 勲四等旭日章受章
1980(昭和55)年 日本文化財漆協会会長 就任
1984(昭和59)年 死去
1922年、金沢市の塗師である新保幸次郎に師事。上京後は塗師の渡辺喜三郎に師事。また、小堀宗明に茶道を学ぶ。1930年には独立。京橋や日本橋で茶器等の制作を行う。その傍ら、蒔絵師の植松包美のもとで徳川本源氏物語絵巻を収める箪司の髹漆に従事。東京漆芸会にも入会し、同展への出品をおこなっていた。
戦後の1946年からは大平通商株式会社に勤務。三井漆の研究を行う。その後1953年に再び制作に専念。日本伝統工芸展を中心に活躍し、同展で奨励賞や日本工芸会総裁賞を受賞。1966年の第13回日本伝統工芸展に出品した「曲輪造平棗」では翌年に芸術選奨文部大臣賞を受賞する。
その後も活躍をみせ、1974年に重要無形文化財「髹漆」の保持者に認定された。また、日本文化財漆活会副会長もつとめた。
作風は木工の曲物技法を応用。堅牢な曲輪に多彩なフォルムを作り出す。それと共に、素地に塗立による上塗りを施す独自の手法を編み出した。
多数の賞を受賞し、名をはせた赤地は1984年に心筋梗塞のため、横浜市の自宅で死去した。
年表
1906(明治39)年 石川県で生まれる
1922(大正11)年 塗師・新保幸次朗に師事
1927(昭和2)年 独立
1959(昭和34)年 第6回日本伝統工芸展に「朱輪花盆」を出品 奨励賞受賞
1960(昭和35)年 第7回日本伝統工芸展に「曲輪造彩漆盛器」を出品 奨励賞受賞
1961(昭和36)年 第8回日本伝統工芸展に「曲輪造彩漆鉢」を出品 日本工芸会総裁賞受賞
1967(昭和42)年 芸術選奨文部大臣賞 受賞
1972(昭和47)年 紫綬褒章受章
1974(昭和49)年 重要無形文化財「髹漆」保持者に認定
1978(昭和53)年 勲四等旭日章受章
1980(昭和55)年 日本文化財漆協会会長 就任
1984(昭和59)年 死去
赤地友哉の代表的な作品
- 「曲輪造平棗」
- 「曲輪造黒漆黄彩喰籠」
- 「黒漆黄彩盛器」
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