- 刀工
藤四郎吉光の買取
藤四郎吉光の作品を高く評価しております。
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藤四郎吉光(とうしろう よしみつ)は、鎌倉時代中期の刀工。山城粟田口派、粟田口吉光。通称藤四郎。粟田口六兄弟の次男久国の曾孫にあたると伝えられる。
京都の粟田口には古くから刀の名工がおり、吉光は通称を粟田口藤四郎という。正宗と並ぶ名工とされ、特に短刀作りの名手として知られる。古来より銘が流暢であり、ほとんどの作には「吉光」二字銘を切られるが、年期銘のある作がなく、親兄弟の作から鎌倉中期の刀工と見られている。豊臣秀吉により、正宗・郷義弘と共に「天下の三名工」と称され、大名たちに珍重された。江戸中期本阿弥光悦が纏めたとされる『享保名物帳』上巻には名物三作として115口、そのうち吉光は34口が掲載されている。
織田信長、豊臣秀吉など当時の権力者に蒐集されたことから、本能寺の変、大坂夏の陣で焼け身になったものが多い。徳川家康は大坂夏の陣に際し、焼け身・紛失した吉光や正宗を始めとする業物の刀を探させた。これらの焼身は初代越前康継の手によって焼き直され、その姿を今に残すものも多い。吉光の焼き直しの代表格としては、太刀を磨り上げた名物一期一振藤四郎(いちごひとふりとうしろう、刀)、小薙刀を磨り上げた名物鯰尾藤四郎(なまずおとうしろう、脇差)がある。また、大坂夏の陣に際し、堀中から無傷で回収した薙刀直しの名物骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう、脇差)も明暦の大火で焼け、後代の康継によって焼き直された。
現存作の多くは短刀であり、身幅、体配とも尋常なものが多い。名物後藤藤四郎(短刀)、名物平野藤四郎(短刀)のようにやや大振りのものもあれば、名物厚藤四郎(あつしとうしろう)は「鎧通し」と呼ばれる特に重ねの厚い作品で、元重ねは1cmを超える。無銘の名物、無銘藤四郎(むめいとうしろう、短刀)も元重ね厚く7mm強ある。
京都の粟田口には古くから刀の名工がおり、吉光は通称を粟田口藤四郎という。正宗と並ぶ名工とされ、特に短刀作りの名手として知られる。古来より銘が流暢であり、ほとんどの作には「吉光」二字銘を切られるが、年期銘のある作がなく、親兄弟の作から鎌倉中期の刀工と見られている。豊臣秀吉により、正宗・郷義弘と共に「天下の三名工」と称され、大名たちに珍重された。江戸中期本阿弥光悦が纏めたとされる『享保名物帳』上巻には名物三作として115口、そのうち吉光は34口が掲載されている。
織田信長、豊臣秀吉など当時の権力者に蒐集されたことから、本能寺の変、大坂夏の陣で焼け身になったものが多い。徳川家康は大坂夏の陣に際し、焼け身・紛失した吉光や正宗を始めとする業物の刀を探させた。これらの焼身は初代越前康継の手によって焼き直され、その姿を今に残すものも多い。吉光の焼き直しの代表格としては、太刀を磨り上げた名物一期一振藤四郎(いちごひとふりとうしろう、刀)、小薙刀を磨り上げた名物鯰尾藤四郎(なまずおとうしろう、脇差)がある。また、大坂夏の陣に際し、堀中から無傷で回収した薙刀直しの名物骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう、脇差)も明暦の大火で焼け、後代の康継によって焼き直された。
現存作の多くは短刀であり、身幅、体配とも尋常なものが多い。名物後藤藤四郎(短刀)、名物平野藤四郎(短刀)のようにやや大振りのものもあれば、名物厚藤四郎(あつしとうしろう)は「鎧通し」と呼ばれる特に重ねの厚い作品で、元重ねは1cmを超える。無銘の名物、無銘藤四郎(むめいとうしろう、短刀)も元重ね厚く7mm強ある。
藤四郎吉光の代表的な作品
- 五虎退
- 厚藤四郎
- 後藤藤四郎
- 信濃藤四郎
- 前田藤四郎
- 秋田藤四郎
- 博多藤四郎
- 岩切長束藤四郎
- 骨喰藤四郎
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