郷倉和子の買取
郷倉和子の作品を高く評価しております。
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郷倉和子(ごうくら かずこ、1914年11月16日 -2016年4月12日 )は、日本の画家、日本芸術院会員。
1914年11月16日、日本画家郷倉千靭(ごうくら せんじん)の長女として東京に生まれる。
1935年、女子美術専門学校日本画科を首席で卒業。
1936年、院展に「八仙花」が初入選。
1937年、安田靫彦に師事
1942年、倉光博と結婚。
1952年頃よりマチスやピカソに影響を受け、半具象的な手法を取り入れる。
1957年、日本美術院賞受賞。
1960年、院展へ出品した「花苑」で2度目の日本美術院賞を受賞。日本美術院同人になる。
1970年、院展へ「榕樹」を出品し、文部大臣賞受賞。
70年代後半には抽象的な表現から具象に回帰し始め、写生に取り組む。
1980年、紺綬褒章受章。
1981年、日本美術院評議員。
1984年、院展に「閑庭」を出品、内閣総理大臣賞を受賞。
1985年、第40回春の院展に「古木に出た紅梅の芽」を、9月の第70回院展に「暮色白梅」をそれぞれ出品、この年より梅の連作に取り組む。
1989年、日本芸術院賞・恩賜賞受賞。
1992年、勲四等宝冠章。
1997年、日本芸術院会員。
2002年、文化功労者。
2013年11月、99歳(白寿)の誕生日を祝って企画された「白寿記念 郷倉和子展 心の調べ」が富山県立近代美術館で開催された。
2016年4月12日、心不全のため死去。享年101。
1914年11月16日、日本画家郷倉千靭(ごうくら せんじん)の長女として東京に生まれる。
1935年、女子美術専門学校日本画科を首席で卒業。
1936年、院展に「八仙花」が初入選。
1937年、安田靫彦に師事
1942年、倉光博と結婚。
1952年頃よりマチスやピカソに影響を受け、半具象的な手法を取り入れる。
1957年、日本美術院賞受賞。
1960年、院展へ出品した「花苑」で2度目の日本美術院賞を受賞。日本美術院同人になる。
1970年、院展へ「榕樹」を出品し、文部大臣賞受賞。
70年代後半には抽象的な表現から具象に回帰し始め、写生に取り組む。
1980年、紺綬褒章受章。
1981年、日本美術院評議員。
1984年、院展に「閑庭」を出品、内閣総理大臣賞を受賞。
1985年、第40回春の院展に「古木に出た紅梅の芽」を、9月の第70回院展に「暮色白梅」をそれぞれ出品、この年より梅の連作に取り組む。
1989年、日本芸術院賞・恩賜賞受賞。
1992年、勲四等宝冠章。
1997年、日本芸術院会員。
2002年、文化功労者。
2013年11月、99歳(白寿)の誕生日を祝って企画された「白寿記念 郷倉和子展 心の調べ」が富山県立近代美術館で開催された。
2016年4月12日、心不全のため死去。享年101。
郷倉和子の代表的な作品
- 「花苑」
- 「榕樹」
- 「八仙花」
- 「閑庭」
- 「静日」
- 「陽だまり」
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