犬養木堂の買取
犬養木堂の作品を高く評価しております。
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犬養木堂(いぬかい もくどう 1855年6月4日(安政2年4月20日)-1932(昭和7)年5月15日)は、日本の政治家。幼名、仙次郎。号は木堂、子遠。名は毅。位階は正二位。勲等は勲一等。書を良くし、刀剣等の東洋趣味にも長じた。
備中国賀陽郡川入村に大庄屋郡奉行を務めた犬飼源左衛門の次男として生まれる。13歳の頃に父が病死。家計をたすけるため門脇の一室で、近所の子供たちに読み書きを教える。
漢学で身を立てようと考え、1872年小田県庁に勤務。この頃、「万国公法」に接して洋学の思想に目覚める。洋学を学ぶため、1875年に上京。翌年慶應義塾に入学。一時共慣義塾に通い、漢学塾二松學舍では三島中洲に漢学を学ぶ。慶應義塾在学中は福沢諭吉の指導を受ける。また、郵便報知新聞の記者として西南戦争に従軍。
1880年に慶應義塾を中退。栗本鋤雲に誘われ、藤田茂吉と共に記者となり、「東海経済新報」を創刊。保護貿易論を唱え、自由貿易論の東京経済雑誌と対抗した。1882年には大隈重信が結成した立憲改進党に入党。大同団結運動などで活躍。
その後、1890年に帝国議会開設に伴う第1回衆議院議員選挙で岡山県第三区から立候補し当選。以降18回連続で当選する。
政治を中心に活躍を見せる一方で、神戸中華同文学校や横浜山手中華学校の名誉校長をなど務めていた。また、書や漢詩にも秀でており、書道家としても優れた作品を残している。
1929年10月、政友会総裁に就任。1931年12月に内閣総理大臣に就任し、犬養内閣を組織した。
しかし、1932年5月15日に海軍の青年将校と陸軍の士官候補生の一団らが侵入。青年将校たちに「まあ、靴でも脱いで座れ、話せばわかる」と言い、煙草を勧めたが、犬養は銃撃された。襲撃者たちは犬養に重傷を負わせると去って行った。被弾後血を流しながらも意識がはっきりしており、駆けつけた女中に「いま撃った男を連れてこい。よく話して聞かすから」と述べた。しかし、その後次第に衰弱。午後11時26分に死去した。
年表
1855(安政2)年 備中国賀陽郡川入村で生まれる
1872(明治5)年 小田県庁に勤務
1875(明治8)年 上京
1876(明治9)年 慶應義塾 入学
1880(明治13)年 慶應義塾 中退
「東海経済新報」を創刊
1882(明治16)年 立憲改進党 入党
1890(明治23)年 第1回衆議院議員総選挙 当選
1898(明治31)年 第1次大隈内閣文部大臣
正三位
1915(大正4)年 勲二等瑞宝章
1920(大正9)年 勲一等旭日大綬章
1929(昭和4)年 大政党・立憲政友会の総裁に選ばれる
1930(昭和5)年 帝都復興記念章
1931(昭和6)年 内閣総理大臣 就任
1932(昭和7)年 五・一五事件により死去
正二位・旭日桐花大綬章
備中国賀陽郡川入村に大庄屋郡奉行を務めた犬飼源左衛門の次男として生まれる。13歳の頃に父が病死。家計をたすけるため門脇の一室で、近所の子供たちに読み書きを教える。
漢学で身を立てようと考え、1872年小田県庁に勤務。この頃、「万国公法」に接して洋学の思想に目覚める。洋学を学ぶため、1875年に上京。翌年慶應義塾に入学。一時共慣義塾に通い、漢学塾二松學舍では三島中洲に漢学を学ぶ。慶應義塾在学中は福沢諭吉の指導を受ける。また、郵便報知新聞の記者として西南戦争に従軍。
1880年に慶應義塾を中退。栗本鋤雲に誘われ、藤田茂吉と共に記者となり、「東海経済新報」を創刊。保護貿易論を唱え、自由貿易論の東京経済雑誌と対抗した。1882年には大隈重信が結成した立憲改進党に入党。大同団結運動などで活躍。
その後、1890年に帝国議会開設に伴う第1回衆議院議員選挙で岡山県第三区から立候補し当選。以降18回連続で当選する。
政治を中心に活躍を見せる一方で、神戸中華同文学校や横浜山手中華学校の名誉校長をなど務めていた。また、書や漢詩にも秀でており、書道家としても優れた作品を残している。
1929年10月、政友会総裁に就任。1931年12月に内閣総理大臣に就任し、犬養内閣を組織した。
しかし、1932年5月15日に海軍の青年将校と陸軍の士官候補生の一団らが侵入。青年将校たちに「まあ、靴でも脱いで座れ、話せばわかる」と言い、煙草を勧めたが、犬養は銃撃された。襲撃者たちは犬養に重傷を負わせると去って行った。被弾後血を流しながらも意識がはっきりしており、駆けつけた女中に「いま撃った男を連れてこい。よく話して聞かすから」と述べた。しかし、その後次第に衰弱。午後11時26分に死去した。
年表
1855(安政2)年 備中国賀陽郡川入村で生まれる
1872(明治5)年 小田県庁に勤務
1875(明治8)年 上京
1876(明治9)年 慶應義塾 入学
1880(明治13)年 慶應義塾 中退
「東海経済新報」を創刊
1882(明治16)年 立憲改進党 入党
1890(明治23)年 第1回衆議院議員総選挙 当選
1898(明治31)年 第1次大隈内閣文部大臣
正三位
1915(大正4)年 勲二等瑞宝章
1920(大正9)年 勲一等旭日大綬章
1929(昭和4)年 大政党・立憲政友会の総裁に選ばれる
1930(昭和5)年 帝都復興記念章
1931(昭和6)年 内閣総理大臣 就任
1932(昭和7)年 五・一五事件により死去
正二位・旭日桐花大綬章
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